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映画「ギルティ/THE GUILTY」


先日、日本でいうところの110番通報を受ける緊急ダイアル部署を舞台にしたデンマーク映画を観てきました。

主人公は、「音」だけを頼りにあーだこーだ右往左往する、いわゆるサスペンスものかつワンシチュエーションものの映画です。
自分は、どちらかというと、のほほんとした、シリアスでない映画が好みなのですが、これはなかなかどうしておもしろかったです。
劇場の音響を使っての「音」と「省略」の演出(そして、その性質上、「音」はときに意識的/無意識的に嘘をついてしまう)を堪能できましたし、映画であるべき作品であるだけでなく映画館で観られるべき作品だと思いました(どれとは言いませんが演劇を何のヒネりもなく映画化してしてスベっている作品、たまに見かけますよね…)。
あらすじがそのままネタバレに繋がるタイプの作品(※タイトルも含む)なので内容は話せないのですが、たとえば、「ドアが空いた状態で聞こえる隣の部屋の音」と「ドアを閉めた状態で聞こえる隣の部屋の音」は全然違うし、残響音や反射音もその場の環境で全然違うわけです。そのような細かな「音」の違いを、物語への導入も含めて集中して見せるつくりになっていました。
逆に、グググッと集中して観ていないと細かな「音」の違いを聞き逃すので、家で観る場合はちゃんと環境を整える必要があります。電源が入ったスマートフォンを机や床におきながらの鑑賞なんてもってのほかですね(←観た人にはわかる)。
また、ヘタクソな演出の映画でよくある、「そうか!〇〇ということは××なのか~」みたいな説明ゼリフや「“真実”は実はこうでした〜」的な再現VTRがないのがとても好印象でした。思えば、我々の仕事も、本当の意味での“真実”の「再現VTR」はなく、多かれ少なかれ限られた証拠や記憶からストーリーを組み立てざるをえないわけです。ドライブレコーダー等で撮影された映像だって、厳密にいえば”真実”のうちの一部分にしかすぎないので。
映画の話に戻りますが、特筆すべきは、「登場人物の想像上の音」と「実際に鳴っている音」とに至るまでひじょーに細やかに音響を使い分けていて、さらにちゃんと観てさえいれば観客がその使い分けまで演出上気が付くようになっていたことです。
ジャンルや洋の東西を問わず、とにかく丁寧なツクリの創作物ってその丁寧さだけでも感動してしまいます。

唯一惜しかったのは、自分はデンマーク語(?)がさっぱりわからないので、劇中で登場人物が発声する単語や文章の「音」と「字幕」とで意識が分離してしまったことです。
これ、母国語で観たらまた少し意味合いが違ってくるんだろうと思いましたが、なかなか邦画でああいうストイックなつくりの作品って見当たらないですからねえ。あと、日本の刑事モノだと刑事訴訟法や実務との異同の答え合わせをしてしまうというイヤ~な職業病が…(笑)。この点、デンマーク人の知人もいないし、「デンマーク刑事訴訟法」も全く知識がないので、「きっとデンマークでは全部リアルで合法なんでしょう。知らんけど!」というさっぱり穏やかな気持ちで鑑賞することができました。